tawara's blog

雑記。個人の見解です。

坐骨神経痛のなりかけ

2021年5月くらいに朝起きたら右脚がとても重く感覚がない日があった。よく寝相が悪さをして腕が痺れることがあるが、あれをもっと酷くしたような感じだった。しばらくするとまともに動くのだが、ずっと座ってるとまた固まってくる。それから整体通いがはじまったが、なかなか改善しなかった。

 

ひどいときは腰痛がひどくなり、屈むことすら難儀な日が続いた。整形外科にも行った。椎間板がすり減ってるからヘルニアに近いと言われシップを渡された。やや効いた。

 

引っ越してから通った整体は割高だがとてもよく効いた。姿勢の悪さから来る腰痛のようだった。ここの背骨がずれてるね、と言われうつ伏せのまま左右に揺らされるという変わった施術だった。痛くないし効いてる感じもないのだが通うとかなりマシになった。屈んで重いものを持てるようになった。ゴットハンドだ。

 

腰痛はとれたのだがいまだ右の尻が固まって痛い。2週間に1度、整体に通っている。なかなか痛みは取れない。坐骨神経痛なりかけらしい。

 

エンジニアとしてのリモートワークのほとんどの時間を椅子に座っている。楽天で高評価のチェアを買ったけれど体に合ってないのかもしれない。

 

ということで最近は朝晩みっちり体操をしてる。youtube坐骨神経痛を伸ばす体操をしてる。さらにスキマ時間でステッパーで足踏みもしている。とにかく体を大事にする習慣を増やそうと思っている。

 

ひとつは23時就寝だ。これを書いていのが23時42分なのでさっそく公約は破られているわけだが、仕方がない。やりたいことはたくさんあるが(読書、個人開発、技術やスモビジや組織論の勉強など)とりあえずデッドラインを決める運用をする。

 

(了)

銀河英雄伝説の小説を10巻全て読んだ。組織の勉強になった。

銀河英雄伝説の小説を読んだ。文庫本で本伝10巻、外伝5巻の大作だった。読んでとてもよかった。 もっと早くに出会っていたら物事の考え方が変わっていただろうとも思えるくらいインパクトがあった。

何が面白かったのか? 気になるセリフをドッグイヤーしていたのだけれど、多すぎるのでとりあえず思いつくままに感想を書く。

腐敗した専制国家を改革しまくる軍事・政治の天才かつ絶世の美貌の持ち主であるラインハルトと腐敗した民主主義国家に振り回される戦争嫌いの戦略・戦術の天才ヤン・ウェンリーの国家同士の戦争を中心に、第三勢力として経済国家フェザーン、過激派の宗教『地球教』などが物語を引っ掻き回す。読み出すと止まらない。この戦い、物語の結末はどうなるのか?、その好奇心だけでページをめくる手がとまらない状態になる。また魅力的な振る舞いをする登場人物が多く、そしてその登場人物たちの行く末もまた読者を裏切る、あるいは深く感心する。

途中から組織論の見本市として読書を楽しんだ。組織のなかで生きる上で起こりうる教科書として読める。無能な上官、裏切り、燃え盛るエゴイズム、実績なき弁舌家、陰謀などなど。著者の田中芳樹はかなり歴史を勉強されているのだろう。古今東西の戦争、組織にかなり精通されている印象を受けた。有史の戦争・組織のエッセンスを凝縮した見本市ともいえるはずだ。

銀河英雄伝説の田中芳樹さん、作品と民主主義を語る 10年前の珠玉インタビューを復刻 - YouTube

銀河英雄伝説の田中芳樹さん「ナンバー2は綱渡り」 オーベルシュタインの不要論語る - YouTube

以下印象的だったこと。

  • 用兵の基本は、敵より多くの軍艦を揃え、戦場を高速に移動し、敵を各個撃破すること

    • 奇をてらうことは悪手であると教えられる。組織に置き換えることもできる。多くのリソースを揃えること、そのリソースを適切に管理をして、素早く凝集すること。そして問題は分解して、一つずつ解決していくこと。このようなことはビジネス本にも書いてあるだろうが、いざ戦争となればリソースはすなわち人命である。同じ知識でも文脈が異なると深く腹落ちする、というやつだ。
  • 無能な上官はほんとにやばい

    • 負けることが確定した状況で、武人として誇りあるいは門閥貴族としての名誉などで上官が玉砕命令を下すシーンが何度もある。こんな人の下では絶対働きたくない、という具体例を知ることができてよかった。部下としては武力で制圧する、逃げるなどの選択肢があるので、それを行使せねば。
  • 何かを為すには組織が必要。ひとりじゃできないと思う。

    • 終盤に物語として全面に出てくるが、読書中にも気づいた。登場人物は全員組織で動いている。どれほど頭がよくてどれほど強くても。善でも悪でも。これは重要な原理だとあらためて思った。組織を作るにはミクロでは対面の人間関係構築、マクロでは組織同士の関係構築の術が必要になる。
  • 民主主義的組織か専制国家的組織のどっちがよいのか

    • 命令絶対は嫌なので民主主義的組織のほうで働きたい。が、意思決定の速さでは専制国家的組織にやはり分がある。国家レベルの悪の掃除で後者が活躍するシーンがある。
  • 小さい組織なりの戦い方がある

  • 人は死ぬ

    • まじで死ぬ。ほんとに死ぬ。戦争映画を見るたびに思う。

とりあえず書いたけど、もっと学習できることがあったので、思い出したら書く。

(了)

場合分けが閾値を超えると脳内スパークする

決済に近いある処理のタスクをしている。既存処理に手を加える程度の粒度だ。

 

多様なユースケースが考えられる。ユーザーがこのケースの場合は、こうする。別のケースでは次のようにする。そのユーザーが既にある処理を通過していたら条件分岐が必要、、、というような具合だ。

 

それを頭の中で当然考えられない。三ケースくらいを超えると脳内スパークをする。なので図なり文章なりで整理をする。誰かに相談するときはそれを共通の理解ツールと用いる。

 

ただし、最近は目の前に図などを用意しても、相手と会話してる最中に、あれってこうだよね、みたいな指摘を受けると混乱してしまう自分がいる。言葉がほんとに出てこない。脳内キャパがオーバーしているのだ。相手の頭の回転が速いときなど(ほとんどそうなのだけれども)、もうついていけない。

 

こういうときに認識すり合わせを、恥をしのんで繰り返すべきなのだろう。しかし自分以外の理解が進んでいるなら、とりあえず次のフェーズにいけばよい、と身を引くことで(という建前で逃げているだけだが)結局深い理解ができないときがある。ミーティングが終わって内省しても整理がつかないので、再度話を聞くこともある。

 

会話し続ける忍耐力が足りない。幸い現職のメンバーは、というか社風は、会話することを大切にしているので、それに乗っかって自分の理解を深めていくべく、会話し続けよう。

 

脳内スパークしないような認識すり合わせの手札を増やしたい。

 

(了)

久しぶりに体調を崩した

2022/07/26(火)に体調を崩した。月曜日は出社し、そのまま恵比寿でボドゲの体験会に行った。そのせいで気疲れしたのかもしれない。日曜の午前中にサウナに行ったことも原因かもしれない。水風呂に入ったけどあまり冷たさを感じず不思議に思った。自律神経が乱れていたのかもしれない。

 

なんにせよ、この程度で体調を崩すとは体力の衰えを感じている。ヒジョーに感じている。エンジニアになってから特に運動していない。

 

体調が崩れると何もできない。ゴミ出しもめんどくさいし、ご飯を食べるのもめんどくさい。体調管理で健康維持をしようと心底思った。

 

頭痛、軽い吐き気、軽い悪寒がした。じんわり体調が悪い感じが抜けない。集中できない。仕事ができないと判断して休んだ。頭痛薬を飲んでひたすら寝てた。1日寝て半分くらい回復したが全快せず衰えを感じた。

 

毎日コミットも毎日ブログも更新できなくなった。悲しいが、こういうときの切り替えが苦手なので自覚して切り替えていきたい。

 

まだ頭痛が残っているのでさっさと寝る。

 

(了)

 

Githubリポジトリのコード検索をしたら、エンジニアしてる気分になった

三文小説という個人サービスを作っている。

https://sanmonsyousetu.com/

人は集まってないけどお気に入りのサービスだ。最近自分で投稿してないのがよくないのだけれど。

 

Twitterに過去作品を定期的に投稿する機能を作っている。TwitterAPIを利用して実装するのだが、Twitterに登録したアプリへの認証情報をどのようなカタチで保存するかを迷っていた。

 

そこで、Twitterのクライアントのメソッドの名前をGitHubで検索してみた。サービスクラス、config配下、モデルなどなどいろいろあった。

 

いろんな書き方あるなー、と思いつつ、コードリーディングにもなるので、エンジニアしてるなーとふと思った。

 

ただそれだけだか、わりといい気分だった。

 

(了)

有効な判断基準を集めることを目標とする

弊社にはナナメンという部署横断メンターをお願いできる制度がある。3ヶ月で1クールだ。入社してすぐは営業のマネージャーにお願いした。

 

この3ヶ月を振り返ると、とても有意義だったと思う。エンジニア以外の職場の人間関係構築、数字の落とし方、課題感を聞くことは、文脈は異なれど、というか異なるからこそエンジニアとして働く自分にとって刺激的で大変に参考になる。

 

極端な例だけど、と前置きして営業のマネージャーは部下を持つ責任を問うた僕に答えた。「極端な例だけど、リーダーの責任はチームのKPIを達成すること。他は二の次。たとえ人間関係が崩壊しても」これはとても刺激的だった。もちろん彼は冷酷な人ではまったくない。原理的な話をしてくれたのだ。だからシンプルで、それゆえ尖ってる。なるほど、一理あるよな、とうんうん唸ってしまった。

 

今回はバックオフィス関係のマネージャーさんにお願いした。働き方について毎回相談するつもりだ。今日は初回だったのだけれど、早速発見があった。

 

どんな風に働ける人になりたいですか、と質問してもらった。判断基準が明確な人、と言葉が頭に浮かんだのでそのまま伝えた。

 

比較的優柔不断であると思ってる。まれにスパッと物事を決めることもあるけれど、それは深く考えることを面倒がった結果だと思う。あとはギャンブル好きというか、結果がどうなるのか見たいという、ただそれだけのときもあるけれど。

 

それ以外では、変に想像力を働かせてあらゆる想定をしてしまい、身動きがとれなくなってしまう。こういうときに上司に相談すると、○○を考慮すると、この場合は××は優先順位が下がるよね、みたいに交通整理をしてくれる。

 

このときのモノサシが僕には足りない。たとえば機能追加する場合にどの判断基準に頼るのか。顧客目線、長期的な運用に耐えうることか、使用頻度なのか、売上貢献なのか、他でもメソッドを呼び出せるようにするのか、、、

 

いくつか上げたがスコープもフェーズも見ての通りバラバラだ。このあたりの整備をすることが生活の目下の目標なのではないかと思う。

 

僕が小説から哲学・倫理入門まで読書を好きなのは、さまざまな文脈・状況の中でくだされる判断基準を収集しているからかもしれない。いまそのことに気づいた。判断基準リストを片手に読書をすべきだったのかもしれない。これから思い出せる限りでリスト化するのもありだろう。あとは優先順位だ。あるいは割合ともいえる。判断基準の扱い方も習得する必要がある。

 

手札としての判断基準を増やし、場の状況で優先順位を決めて使えるようになれば、仕事・生活がより豊かなものになりそうな予感がする。認知できる色が増えれば世界はさらに色鮮やかに輝くはずだ、とかいったりして。

 

(了)

はてブロの「読者になる」にハマってる

最近のマイブームは、はてブロで「読者になる」ことだ。Twitterで流れてくる技術ブログの読者に積極的になっている。そうすると、はてブロのアプリを頻繁に開く度に、新しい更新記事に出会える。

 

正確には、このアプリを開いて更新記事を確認することにハマっている。あの人はブログを書いているという事実は、僕も書こうという意欲に自然につながることになるからだ。

 

書くという行為をとても大事にしてる、この人のブログは毎日読んでいる。技術記事もあるけど、雑記に近いのかもしれない。毎日更新していてすごい。どんな習慣なのかとても気になる。一気に書くのか、メモを貯めてから書くのか、などなど。

 

https://blog.kyanny.me/

 

なるべく毎日もう少し中身のある記事を書こう。

 

(了)