tawara's blog

雑記。個人の見解です。

雑記を毎日投稿する企画をはじめる

自分で企画し、自分で実践することが好きだ。自分がどうなるかにわくわくできるからだ。 ということで、1ヶ月毎日投稿企画をしようと思う。これで3度目だ。

エンジニア転職を決意してしばらくしてプログラミングスクールのRUNTEQに入ったのだけれど、 その際に、技術の知識を定着させるために技術ブログなるものを書くといいとアドバイスされたことがある。

1ヶ月投稿企画をそのときにはじめて行った。評判もよかったし、技術の理解が深まった(気がする)。 ただし、いい記事を書くには対象読者を想定し、彼らにとって新しい発見がある内容を書かなければと意気込んでしまう。 だから企画が終わると継続はできなかった。思い立っては新しいブログを作り(4つも作った)、少しばかりがんばっただけで習慣化されない。

2022/4/15にいまの会社に転職してから、ありがたいことに忙しく仕事ができている。技術は超新しいことではないが、動いているコードからは学べることが多い。 そのことをアウトプットしなければと思いながらもタスクをこなすことで精一杯だった。アウトプットせずにインプットする日々。 言葉にすることで思考がまとまるタイプの人間にとって、それはストレスとなっている。

だから技術ブログを頻繁に更新すべき、と考えたが早計だった。インプットは技術だけではないからだ。

単純にコードの書き方や便利メソッドなどの技術的なTipsだけではなく、組織論、新しい職場の人間関係の作り方、仕様の決め方、渡し方、情報の非対称性を考慮した質問、キャリア形成などなど、いちエンジニア・いち社会人としての立ち振舞いにも日々学ぶことがある。まあ、これも技術ブログに書けばいい範疇に入るかもしれない。

ただ言葉にしたいのは技術や働き方の範囲をさらに越えていることに気づいた。読書・映画の感想から、今日のちょっとした出来事や、倫理や正義を問われるニュースや場面に 遭遇したときに、自分がどのように考えているのか、何を基準としているのか、何から目をそらしているのか、何から逃げているのか、何に立ち向かうことが多いのか、などなどを 言語化したいことに気づいたのだ。

これは技術ブログには合わない。だからいま、放置していた はてぶ を更新している。

ふとしたときの考え、これってこういう意見でいいのだろうか、なぜそこまであの人は怒っているのだろうか、などを契機にして、もやもやとまとまりない思考が続く人間なので、 文章に書くということで考えが整理される。だいぶ整理される。書くことで思考する、と村上春樹はどこかで書いていたが、僕も近しいのかもしれない。

書くと思考はまとまるし、新しい発見もあるし、自分を越えた展開があるし、何より人に伝えやすくなるはずだ。最近アウトプットがなさすぎて、あるトピックの話題で、なぜ?と相手に問われると、なんとなくそうなんだよ、あるいは、どっちでもいいだろう、と思考放棄している自分に気づく。さっと知識と経験で論理を組み立てる能力が劣化している。もともとあったのかも疑問なのだが。

また単純に書くことは楽しいし気持ちのよいことだ。両手の指を組織的に動かす運動的な楽しさや、文章を紡ぐために瞬間瞬間で大海から適切な言葉を探してくる楽しさや、 自分の文章に自分がびっくりする体験などなど。言葉を組み立てることはそれ自体が楽しい。だから継続したい。

このブログはあまり読者のことは気にせずに書きたい。とりあえず量を目指す。質はあとからついてくると信じるしかない。文章もひどいがそれも仕方がないと割り切る。 割り切ることが事態を好転させることだってあるはずだ。

(1/30days)

(了)