tawara's blog

雑記。個人の見解です。

mustとwillで物事を考えるようになりたい

わりと完璧主義の傾向がある。課題の基準を高く設定して、無理をしてでもクリアすることで成長がもたらされる、みたいな考えをどこかで身につけたみたい。 課題に対して責任感が生まれ、なんとかこなせるのであれば問題にはならない。が、あまりにこの考えに執着していると、失敗したときや、ミスを指摘されたときに必要以上に自分にダメージを与えてしまう。なんてこった、完璧にできなかった、、、みたいに。ひどいときはそれで生産性が落ちる。

例えばあるチケットのPRのレビューで、指摘コメントをもらったときなどに悪い面が発動することがある。ここはこういう書き方のほうがいいですよ、といった指摘ですら、なぜそれに気づかなかったのか、と狼狽する時間がある。

これは改善の余地がある。ずっとそう思っていたのだが、mustとwillの二つの基準を設ければ、より精神が柔軟になりそうだと思った。 きっかけは会社の資金調達の説明セミナーだった。経営陣に資金調達の金額はどのように設定したのか?と質問をした。その回答は「マストで〇〇円、できれば〇〇円」だった。

なるほど、二つ基準を設ければいいのだ。三十年生きていてはじめて気づいた。たぶんもっと気づけるタイミングはあったかもしれないが、妙にその瞬間に腹落ちしたのだ。

課題があって、最低限はここまでやる必要がある、もし事態がうまくいけばあそこまでやろう、といった風に考えればいい。 こういう考え方をしてこなかった。高い基準を一つ設ける、あとは成功か失敗か、というような態度だった。柔軟性に欠ける。

先のPRの例で言えば、チケットの課題を解決する最低限の機能は実装できていて、そこに指摘はなかった。だからmustはクリアしている。 レビュワーの指摘は、mustとwillの間に属している。だから安心してリファクタに取り組めばいい。とこんな風に認識すればよいだろう。

基準一つで成功、失敗の二元論で考えるのではなく、基準を二つ設けて、その間に落ちるように仕事や人生のイベントに取り組めばいいのだ。

例えばブログだったら、最低限の基準は何かしら記事を投稿することだ。そしてwillとしては、読者に発見があり、とても読みやすい記事にする、といったところだ。 とりあえず記事を書いて公開すればmustを満たすことができる。成果として認識できる。これが結構大事なことのように思える。基準はクリアしている、あとはリソースを見て、より良くするだけ。

この先の人生はどうしたものか、などふと思うのだけれど、ここでもこの二段構えは役立つだろう。 とりあえずマストとしては健康で文化的な最低限度の生活を送ることだろう。それを満たすことができたら、個人的なささやかな楽しみを感じる時間を増やすように工夫する、などと思考を進めることができる。

守りと攻めにも通ずるところがあるとふと思った。銀河英雄伝説を読んでいるせいだろう。戦いにおいてマストとは敵を打ち破ることではなく、兵站を確保し、敵よりも多くの兵力を集める、などが挙げられるはずだ。これができてからはじめて敵に立ち向かうことができる。敵を完膚なきまでに叩き潰す、という目標ひとつで戦場に行ったら、僕はきっと無理をして道半ばとなる運命に違いない。

というわけで、二段階構えの思考で物事に取り組んでいきたい。

(了)