tawara's blog

雑記。個人の見解です。

有効な判断基準を集めることを目標とする

弊社にはナナメンという部署横断メンターをお願いできる制度がある。3ヶ月で1クールだ。入社してすぐは営業のマネージャーにお願いした。

 

この3ヶ月を振り返ると、とても有意義だったと思う。エンジニア以外の職場の人間関係構築、数字の落とし方、課題感を聞くことは、文脈は異なれど、というか異なるからこそエンジニアとして働く自分にとって刺激的で大変に参考になる。

 

極端な例だけど、と前置きして営業のマネージャーは部下を持つ責任を問うた僕に答えた。「極端な例だけど、リーダーの責任はチームのKPIを達成すること。他は二の次。たとえ人間関係が崩壊しても」これはとても刺激的だった。もちろん彼は冷酷な人ではまったくない。原理的な話をしてくれたのだ。だからシンプルで、それゆえ尖ってる。なるほど、一理あるよな、とうんうん唸ってしまった。

 

今回はバックオフィス関係のマネージャーさんにお願いした。働き方について毎回相談するつもりだ。今日は初回だったのだけれど、早速発見があった。

 

どんな風に働ける人になりたいですか、と質問してもらった。判断基準が明確な人、と言葉が頭に浮かんだのでそのまま伝えた。

 

比較的優柔不断であると思ってる。まれにスパッと物事を決めることもあるけれど、それは深く考えることを面倒がった結果だと思う。あとはギャンブル好きというか、結果がどうなるのか見たいという、ただそれだけのときもあるけれど。

 

それ以外では、変に想像力を働かせてあらゆる想定をしてしまい、身動きがとれなくなってしまう。こういうときに上司に相談すると、○○を考慮すると、この場合は××は優先順位が下がるよね、みたいに交通整理をしてくれる。

 

このときのモノサシが僕には足りない。たとえば機能追加する場合にどの判断基準に頼るのか。顧客目線、長期的な運用に耐えうることか、使用頻度なのか、売上貢献なのか、他でもメソッドを呼び出せるようにするのか、、、

 

いくつか上げたがスコープもフェーズも見ての通りバラバラだ。このあたりの整備をすることが生活の目下の目標なのではないかと思う。

 

僕が小説から哲学・倫理入門まで読書を好きなのは、さまざまな文脈・状況の中でくだされる判断基準を収集しているからかもしれない。いまそのことに気づいた。判断基準リストを片手に読書をすべきだったのかもしれない。これから思い出せる限りでリスト化するのもありだろう。あとは優先順位だ。あるいは割合ともいえる。判断基準の扱い方も習得する必要がある。

 

手札としての判断基準を増やし、場の状況で優先順位を決めて使えるようになれば、仕事・生活がより豊かなものになりそうな予感がする。認知できる色が増えれば世界はさらに色鮮やかに輝くはずだ、とかいったりして。

 

(了)