tawara's blog

雑記。個人の見解です。

チーム・ジャーニーを読んだ。いつも自分には何かできることがある

と思った。カイゼン・ジャーニーをだいぶ前に読んだときもそうだったが、物語が面白いので、どしどしと読める。ストーリーがあって、そのストーリーに対する専門的な解説が続く、そしてまたストーリーとなる。続きが気になって解説を読み飛ばしたくなるほどだ。それほど毎回、主人公やそのチームは、これ一体どうするんだろう、という状況に追い込まれる。何か問題が起きている、ただそれにどう対処したらいいかわからない、、、そこに誰かが助け舟となるアイデアや助言をくれるといったように展開していく。困難に対処したかと思えば、さらに状況は変化し、都度その対応を求められる。

とても面白い本だった。現実に僕が所属するチームに対して課題感を持っているので、何か現実に適応できる施策へのヒントはないのかと、高い温度感で主体的に読めたことと、それに呼応して本書が知識を提供してくれたからだろう。よし、ここの部分を適用できそうだ、とそっくりそのまま施策例を使うことはできないだろう。それは本書の問題ではなく、読み手である僕の問題だ。所属するチームが抱える課題をまだ正確に把握できていないからだ。ただ、本書のあのあたりの施策はヒントになるだろう、という感じはあった。大収穫である。もう少し整理すれば、来週のどこかで提案ができそうだ。

スクラムの知識が増えた、だから本を読んで良かった、という単純な感想ももちろん持ったが、それよりも本書を読んで心にグッと来たのは別のことだ。それは、どのような状況であれ自分にできることはまだある、と思えたことだ。そのような想いを体全体で受け止めることができた。何よりの収穫だった。根底にそのことを信じることができるからこそ、具体的な行動を実行できるのではないか。そして現場経験の日が浅い僕にとっては、もちろんその実行方法には舌を巻くことがあった。その手があったのか!と。課題に対処するためには、自分が巻き込めると思う人間関係の範囲を乗り越えていく必要があるのだ。チームはときとしてその形を柔軟に変化させるのだ、という当たり前のことも新鮮に思えた。

チームの問題や課題(あるいは自分のそれら)だと思うことにぶち当たると、うわーと言って思考停止になる瞬間(の積み重ねとしての時間)がある。どーしたらいーんだー、と嘆く時間がある。そんなとき「まだ自分にできることはある」と強く思って、自分にできないのであれば、できる人に聞く、それもできるだけ上手く聞く、というようなネクストアクションを取る必要がある。まだ自分にできることはある、と念じることは前向きの思考を呼び出せそうでいい。

と思うだけでは状況は変わらないので実行していきたい。そしてそのために施策を中心に再読したい。カイゼン・ジャーニーも。

(了)