vimハラスメントをしたかも
通っていたプログラミングスクールの校長がVim使いだった。実務で不可欠なVimの普及のために、冗談でVimハラスメントと名付けて勉強会などが開催された。かつての僕も受けて、Vimかっこいい、と思ってVimに入門した。ただしいまはVS CodeをVimプラグインで利用してる。
先日、新入社員の環境構築で助っ人でお呼ばれしたときのこと。.zshrcに環境変数を設定する場面でvimでファイル開いてください、と伝えた。だけど彼はvimのことを知らないようだった。
v i mと口頭で伝えたが(リモート環境)うまくいかなかった。jを連打してください、あ、スクロールはしないで大丈夫です、などなど。結局のところ、必要な環境変数のコードをテキストで送って、自分のエディタで設定してもらうことになった。
この話の肝はVimを知らない新入社員の方を批判することではまったくない。知らないことは今後学習すればいいのだから。
問題なのはvimをわからないと彼が教えてくれたときに、心の中で「それくらいは知っててよ」まではいかないにしても、それに似た心の動きがあったことだ。これは傲慢で恥ずかしいと思う。
まだ2年もエンジニア歴がなく、知らないことだらけで、毎日同僚の人に手助けしてもらっているにもかかわらず、そのような自分を棚にあげるような態度は取らないほうがいいだろう。
不遜な態度に気づけてよかった。反省したい。
(了)
山口蕗子『逃避の名言集』を読んだ。計画的に逃避しよう。
新宿は紀伊國屋書店で山口蕗子『逃避の名言集』を買った。十代の頃は〇〇名言集とかの本をよく読んでいた記憶があるが、こういう本は読まなくなってしまった。前後脈絡なしに、言葉だけ切り抜いても深く味わえないからだ。とはいえパラパラとめくってみたところ、面白そうな言葉もあるし、何より女性の筆者(選者?)なのか、女性の作品からの引用が多く、そのほとんどが自分の知らない作品だったので買ってみた。
以下、面白かった名言とその感想。
「自分に疑いのない人」との会話は時間の無駄です 出典: 大庭みな子『続 女の男性論』の引用箇所の著者の要約
この言葉があったから本書を買ったともいえる。あんまり関わりたくないなーと思う人はこういう傾向にあると思う。言い切り、断定調の語り口の人の話をあまり聞きたくない。根拠といえばかじった知識や周りの友人の話からの推測とかの枠を出ないだろう。生きてて断定できることってほとんどないのでは、とすら思っている。
人生に必要なことは、日常生活からの逃げ場を作ること 出典: ウディ・アレンの映画『人生万歳』のインタビュー
無性にひとりになりたくなるときがあり、実際なんとかして実行する。満喫にいったり、空いてる喫茶店に行ったりする。人付き合いが苦手なわけではないけれど仕方がない。社会人として社交性が欠けているのかと密かに心配していたのだけれど、防衛本能としてそう行動しているのかもしれない。とにかく誰かにとやかく単独行動を避難されたら言い返す言葉のレパートリーが増えたのでよい。「しょうがいないよ、ウディ・アレンも言ってるもの」と。
独身を通すことも結婚も同性愛もすべて、同じように危険な選択なのです 出典: 室谷洋三編『アイリス・マードック 随筆・対談集』の引用箇所の著者の要約
切れ味鋭い言葉でお気に入り。マイノリティを心配・ケア・配慮するマジョリティという構図を土台から突き崩すほどインパクトがあって好きだ。何がどう危険なのかは、アイリス・マードックの本を読まねばいけないけれど、ふと自分の無意識に抱いていた態度を透明な刃でぶった切られる感覚はいい。そのために読書しているのだから。
いろんな作家、映画監督の名を知れるのもこういうオムニバス形式の本のよい点ですね。
(了)
毎日コードを書く宣言
mustとwillで物事を考えるようになりたい
わりと完璧主義の傾向がある。課題の基準を高く設定して、無理をしてでもクリアすることで成長がもたらされる、みたいな考えをどこかで身につけたみたい。 課題に対して責任感が生まれ、なんとかこなせるのであれば問題にはならない。が、あまりにこの考えに執着していると、失敗したときや、ミスを指摘されたときに必要以上に自分にダメージを与えてしまう。なんてこった、完璧にできなかった、、、みたいに。ひどいときはそれで生産性が落ちる。
例えばあるチケットのPRのレビューで、指摘コメントをもらったときなどに悪い面が発動することがある。ここはこういう書き方のほうがいいですよ、といった指摘ですら、なぜそれに気づかなかったのか、と狼狽する時間がある。
これは改善の余地がある。ずっとそう思っていたのだが、mustとwillの二つの基準を設ければ、より精神が柔軟になりそうだと思った。 きっかけは会社の資金調達の説明セミナーだった。経営陣に資金調達の金額はどのように設定したのか?と質問をした。その回答は「マストで〇〇円、できれば〇〇円」だった。
なるほど、二つ基準を設ければいいのだ。三十年生きていてはじめて気づいた。たぶんもっと気づけるタイミングはあったかもしれないが、妙にその瞬間に腹落ちしたのだ。
課題があって、最低限はここまでやる必要がある、もし事態がうまくいけばあそこまでやろう、といった風に考えればいい。 こういう考え方をしてこなかった。高い基準を一つ設ける、あとは成功か失敗か、というような態度だった。柔軟性に欠ける。
先のPRの例で言えば、チケットの課題を解決する最低限の機能は実装できていて、そこに指摘はなかった。だからmustはクリアしている。 レビュワーの指摘は、mustとwillの間に属している。だから安心してリファクタに取り組めばいい。とこんな風に認識すればよいだろう。
基準一つで成功、失敗の二元論で考えるのではなく、基準を二つ設けて、その間に落ちるように仕事や人生のイベントに取り組めばいいのだ。
例えばブログだったら、最低限の基準は何かしら記事を投稿することだ。そしてwillとしては、読者に発見があり、とても読みやすい記事にする、といったところだ。 とりあえず記事を書いて公開すればmustを満たすことができる。成果として認識できる。これが結構大事なことのように思える。基準はクリアしている、あとはリソースを見て、より良くするだけ。
この先の人生はどうしたものか、などふと思うのだけれど、ここでもこの二段構えは役立つだろう。 とりあえずマストとしては健康で文化的な最低限度の生活を送ることだろう。それを満たすことができたら、個人的なささやかな楽しみを感じる時間を増やすように工夫する、などと思考を進めることができる。
守りと攻めにも通ずるところがあるとふと思った。銀河英雄伝説を読んでいるせいだろう。戦いにおいてマストとは敵を打ち破ることではなく、兵站を確保し、敵よりも多くの兵力を集める、などが挙げられるはずだ。これができてからはじめて敵に立ち向かうことができる。敵を完膚なきまでに叩き潰す、という目標ひとつで戦場に行ったら、僕はきっと無理をして道半ばとなる運命に違いない。
というわけで、二段階構えの思考で物事に取り組んでいきたい。
(了)
CSと顧客の要件定義のweb会議に出た
顧客とのweb会議に臨席する経験から学ぶことが多かった。
CSからwebhookの機能について顧客との会議で話が出る可能性があるので、スクラムチームからエンジニアをどなたか出席してほしい、というのが事の発端だった。
これに手を挙げた。webhookに機能追加したこともあるし、顧客と会話する会議に同席してみたいと常々思っていたからだ。自分の開発した機能を誰がどのように使うのかは知りたい。モチベーションにもつながる。
かなり緊張して臨んだ。不用意なひと言で商談が失敗したりしたら組織に顔向けができないからだ。会話はこちらでやる、もし技術の話になったら可能な範囲で回答してほしい、とCSの方には言われたが、十中八九話を振られて利用方法や技術的な制約について話すことになるのではないかと思っていたからだ。結構調べたし、マインドシェアもとられた。悲観的な将来予測をしていたのかもしれない。
蓋を開けてみるとエンジニアの出番はほとんどなかった。それはwebhookの話にならなかったからではもちろんなく、CSの方が機能の詳細について細部にわたって把握して説明していたからだ。正直webhookを実装した自分よりも的確に、そして知識をすばやく引き出しから出して、相手に伝えていた。こうやって認識すり合わせをしていくのか、この解像度で仕事をしなければ、と奮い立った。その手腕に見とれてしまった。
他にもいくつかビジネススキルとして、スライドを簡潔に作成する、都度相手の理解度を確認する、相手の懸念点を先回りして説明する、テキパキとした話術、徹底的に不明点を潰していく進め方、などなどを学べた。
一度飲んでみたい。
(了)
認知の歪みに気をつけたい
認知の歪みテストなるものをネットで見つけたので試しにやってみた。
結果はこちら。
リンクはこれ。アンケートを答えて、結果を見るにはメルアドが求められる。商売だ。
否定的予測による将来への悲観、拡大解釈・過小評価、過度な謙遜による自己否定などの認知の歪みがあるらしい。
これは当たってると思う。仕事を任されても、きっとうまくはいかない、なんとかやり切ってトントンなら上出来だと思うし、小さな印象を不健康な想像に膨らませる一方で、自分の成功は偶然だと思う節がある。まじで助かってます、などと褒められても、天狗になってはいけないと自分を戒めることすらある。
新しい会社にはたくさんの仕事のできる人がいる。仕事ができるとは現状でベターな判断をして、タスクのフェーズをとにかく進める人だと認識してる。
なぜならその力がいまの僕にはないと思うからだ。
ベストで最高な選択ができないならもうダメかもしれない、と思ってします。その状況でベターな判断をして、仕事を次のフェーズに突き進められない。ベストで最高な状況でないことに悲観し、その環境を用意できなかった自分の能力の欠如をくよくよと悩み、この仕事はうまくいかないかもしれないと無駄に悩んでしまうのだ。そしてこの状況で上役に報告したらきっとよくないことになるのでは、、、なんて思ってしまう。
やや誇張したかもしれないけれど、このように考えることは多いかもしれない。
文字にしてみれば、なんて悲観的なんだと自分に驚いてしまう。仕事のできる人は、ベストでない環境で優先順位を決めて、仕事を進める。タックルを受けても倒れずに、一歩二歩と足をすすめてタッチラインを割るラグビー選手のように。そのような経験の積み重ねが、仕事をなんとかできる人の特有の雰囲気になるのだろうか。
もうちょいでさらに成長できそうなんだよなーと感じてる。そのひとつは認知の歪みだろう。
死ぬこと以外はかすり傷、なんてスローガンに簡単に心酔できないタチなので、より現実的な認知ができるように訓練することを目下の目標にしたい。
(了)
経営陣から資金調達の説明セミナーを受けた
はじめて、携帯からブログを投稿する。
風呂から上がり、そして作業場の電気を消してからブログを書く書かなければと思い出したのだ。appstoreではてブのアプリを入れて、いま書いている。
毎日投稿は昨日途切れてしまったけれどまあかまわないだろう。
弊社は先日40億円を超える資金調達をした。市況が悪い中での、この調達額はすごいらしい。投資家・投資機関の期待が高いとのこと。そのような船の一乗員であることは、素直にうれしい。
それよりもうれしいのはトップ自らが資金調達についての説明セミナーを社内向けに行ったことだ。今日1時間行われ、170人くらいが参加した。
資金調達の基礎から使い道まで説明があった。例えば次の通り。
・個人での借金とは違い、法人のそれはある種の信頼・与信につながる面もある。
・第三者割当増資とは、新規に株式を発行して、投資家に買ってもらい、会社にお金を入れること
・投資家はメンバーや取引先にもインタビューをすることがある
・調達した資金の使い道のざっくりとした優先順位
とてもわかりやすくて勉強になった。そして感心?したのは、やはり経営陣の組織への情報提供の態度だった。
いま組織を取り巻く環境はこうで、優先順位をつけた課題にこうやって取り組んでいく、そのために資金を使う、というメッセージをひしひしと感じた。
経営陣からこのように情報を伝えられると、日々の仕事も、そこに向かうために必要なものであると認識できるし、認識したからには責任感も多少?生まれるし、ひとつ工夫しようかとも思う。できるかどうかはわからないけど、それでも前向きに考えたくなる。
そしてわかりやすく伝えるには情報の確度と解像度が高くないといけない。今回の経営陣のお話はとても分かりやすかったが、それは彼らの情報の細部への把握によるものだと思う。
頼もしいな、といちメンバーの僕はセミナーを通して感想を持った。
と思ったからには、もし部下を持つ身になったのならと考えるのが道理だろう。
タスクの優先度、チケット内容、タスクの顧客インパクトなどを部下が納得できるように伝えられるようになる必要がある。
そのためには、ビジネスコミュニケーション・プロダクトの理解、ビズ側との会話、プログラミング技術、組織づくりの方法などなど、自分に足りないものを学習する必要がある。課題はたくさんある。
敵は戦力集中による各個撃破が基本方針だと、銀河英雄伝説のヤン・ウェンリーに学んだ。(銀河英雄伝説 5巻を読み終わって、かぶれているのだ。)
ではこの場合は何か? プロダクトの理解だろう。今は、チケットの範囲だけだが、他人のPRを見る、ローカルで動かすなどをやろう。
(了)