tawara's blog

雑記。個人の見解です。

反応に気づくようにしている。行動の9割くらいは反応だ、と人に言われたことがある。脳や体の反応により行動・発言したりしてしまうものだ。思考が介在しているわけではない。だから反応していることそれ自体に気づくことができない。反応は過去の人生のどこかのイベントで形成される。または一般常識として頭にインストールされる。

例えば、部屋にGが出たら身の毛がよだつ人が多い。反応している。ただよく考えれば虫一匹に生命を脅かされるわけではないし、スプレーとか武器を使うので勝率は極めて高い。そこまで恐れる必要はないことは頭ではわかる。だけど反応してしまう。

例えば、怒りについて言える。イライラするときは何かに反応している。1秒でも遅刻されることが許せかったりするとしよう。あなたはきっと相手を非難するだろう。でも1秒遅刻されて事態が深刻になることはほとんどない。それなのにイライラしてしまう。思考が介在しない反応の原因は過去の体験にある。絶対に遅刻してはいけない、とどこかで学習したはずだ。親にキツく躾けられたり、学校でこっぴどく怒られたりしたり。絶対に遅刻してはいけないルールを内面化した。自分は遵守しているルールを他人が守らないからイライラしている。嫉妬に近い。自分は守ってるのに、どうして相手は守らないんだ!と反応してしまう。そんなからくりが無意識で行われているのだ。

だから、そういうときは反応をつかむことが大事だ。反応しているなーと思う。自分イライラしてるなーと。そして反応から原因を考える。絶対に遅刻してはいけないルールを持ってるからかもーと思う。相手がルール違反してる、と思ってるからイライラしてるんだなーと思う。彼が私のルールを守る必要なんてないからイライラしなくてもいいよなーと相手を許せる。あるいは、絶対に遅刻してはいけないルールなんてのがあるからイライラを生んでしまうのかもー、と思って捨ててしまうこともできる。

自分の執着をひとつ手放す契機になる。いらない執着をなくしていくほうが不必要な反応がなくなり、気持ちよく生きていける。反応を観察することはとても有意義だと思う。何よりその行為自体が気持ち良い。自己理解が深まるのには得難い快感がある。

ちなみに僕は、失敗に直面しそう、と恐怖を覚えるといろんな反応が出てくる。仕事で正念場のときにストレスがかかったりする。恐怖心出てるなーと反応に気づければ、誰かに相談したりする行動をとれる。恐怖している自分を認めることで自分らしく行動できる。

(了)