tawara's blog

雑記。個人の見解です。

忘れられない光景がある。転校初日の光景だ。小学校6年生の頃に東京から埼玉に引っ越しした。親父が転勤族だったのだ。転校生は珍しい。そして子供は残酷なくらい純粋だ。ということで、転校初日に教壇の横で自己紹介をした。そのときに試されるような視線を体に受け止めたことを覚えている。30人の子供の目は予想外にインパクトがある。「こいつはいったい何者なんだ?」という好奇心で加速した視線だ。とても不安な気持ちになったことを覚えている。そしてその光景が心に残っている。

なんで不安に思ったのだろう。試されてる、という感覚が居心地悪かったのだ。一挙手一投足、発する言葉などを監視されている気分だった。もっと前向きな性格だったのなら、その感覚を楽しむことができたのかもしれない。そういうタイプの性格ではなかった。すごく見られている。何か見えないルールがあって、それに反しないようにしないとコミュニティに受け入れられることはないはずだ、と当時の僕は考えていた。

どうしてそんな考えがあったのだろうか。人に迷惑をかけないように、とは母がよく言っていた言葉だった。裏返せば迷惑をかけない行動ルールを遵守することになる。ルールに過敏な性格になった要因の一つだろう。というわけで、何か見えないルール、に過敏な僕は一挙手一投足を気にするようになった。学級の中心は誰か、派閥?はあるのか、などなどを自然と伺う子供だった。与えられたルールは守るので、実にコントロールしやすい生徒だったと思う。ルールを守ることばかりで、ルールをより良く変える、という発想を持つことはなかった。そのほうが楽だからだろうな。いまでもルールを把握できないと転校初日の僕に戻ってしまう。不安と緊張が高まり、声がこわばり、体が固まってしまう。

よいこともある。緊張状態にならないように事前に準備するようになった。事前に関係各所に顔を出したり、相手のプロフィールを調べておいたり、などなど。あるいは人間をもっと知る意欲が高まって知識欲につながった。ルールに気づいてない人や馴染めない人に気づく感度が高まったりした。ルールに適合する形で自分に折り合いをつけることも学んだ。たぶん。

なので、これからはより良いルールづくりができる能力を持つといいのかもしれない。ルールのメリデメ、新しいルール適用後の未来像を考える力、集団に伝達・説得する技術など。

最後に、心象風景の話。転校初日の視線を全身で受け止めた僕の記憶は当然、30人の子供が僕を見ている光景であるべきだ。だが、どうしてか心象風景はそのようになっていない。むしろ前方の座席に座り転校生を見上げている構図になっている。顔はぼやけている。または教室の壁の上方から学級全体を見渡すカメラアイになっている。なんでだろうー。

(了)