はじめて地域Rubyコミュニティに参加したら面白かったので、千歳烏山.rbを作ってみた
この記事は SUPER STUDIO Advent Calendar 2023 の5日目の記事になります。
地域Rubyコミュニティを作って、1回目のイベントを行いました。うれしい。 今回は発足の経緯と初回の模様をお伝えします。 地域Rubyコミュニティを作るのに興味あるけど、実際どういう気持ちでやったんだろう?という読者の期待に応えたいですね。
江戸Ruby会議への参加
弊社の人脈おばけ・フッ軽の情シスの方(@bboobbaa )に誘われて、新卒や同僚に声をかけて参加してきました。10月15日のこと。
Rubyistになってから3年が経ちますが、地域Rubyコミュニティに参加したのはこれが初めてでした。 会場は浅草5656会館の大きなホールで、あいにくの雨模様でのはじまりでした。生活発表という概念を初めて知りました。自分の日常を形成する大事な要素を熱く語る、という意味合いだと理解しています。コーヒー、パン作り、将棋、Youtube撮影、などのトピックで登壇者が気持ちよく声を張り、聴衆は温かく迎える。
もちろん技術に特化したセッションもありました。Rubyコミッターが普段の仕事を語る、OSSのメンテしている方のお話などなど、技術的についていけない話もありましたが、とても興味深い印象でした。
会の途中から、あー、いいなー、こういう空間いいなー、と思いました。 いっちょコミュニティ立ち上げてみたいなー、と。でも、簡単にできるのかしらねえ、と。
生活発表も技術の話にも共通している、心が惹きつけられることがあります。それは人間が個人的に喋りたいことを熱を込めて話す、そしてそれを人間がそのまま受け止める、という関係性です。もっと簡潔に言えば、人間が集まるっていいなー、と思ったのです。
そういう芽を心に持ったところで、会が終わり、懇親会までのスポットの時間が生まれました。
同志あらわる
人脈おばけ・フッ軽の情シスの方に、「懇親会の前にお酒飲むから、たわらっちも行こうよ」と誘われる。ぜんぜん知らない人がいる飲み会で、会の感想を分かち合って、Rubyコミュニティを作りたいですよね、とポロッとこぼしたのです。「いいですねー」と隣にいたiCAREのCTOのクドウさんに相槌を打ってもらえました。「どこのへんに住んでるんです?」と聞かれ、「千歳烏山に住んでます」と答えると「あ、すごく近いですね。やりましょう」と言ってくれました。実は人脈おばけ・フッ軽の情シスの方も同じ路線だったので、「やろうよー」と言ってくれました。3人いれば充分、あ、作れる、と思いました。
なんでもいい、ガンプラ作ればいいよ
大江戸Ruby会議の懇親会は浅草の遊園地花やしきだった。貸し切りで遊具をいくつか楽しめる。日本酒好きの方が多く、熱燗を飲むための機器を用意して、人だかりができていた。そこでたまたま会話していた人が、関西の地域Rubyコミュニティの運営者だった。新しいコミュニティを作ろうと思っていると相談すると、「気軽にはじめるのがいい」とアドバイスをもらえました。毎回のテーマを考えるのが大変そう、と私が言うと、「しんどくなったら辞めればいい。テーマはなんでもいいよ。ガンプラ作ったらいい。あの説明書から要件定義を学ぶことができるし」と答えてくれた。なんならただの飲み会でもいいんだ、とも。深刻にならずに、とりあえずやってみることが大事だよな、と改めて心持ちが決まった瞬間だった。
とりあえずリリースしようぜ
という初めての地域Rubyに参加してから1ヶ月後の11月18日に第1回千歳烏山.rbを開催した。Compassで募集をした。場所だけ予約して、単純なもくもく会として募集した。細かい準備、例えば参加者のグループのためのDiscordの用意、は当日に行った。最悪友人と2人でやればいいやー、くらいのノリでリリースしました。
chitose-karasuyama.connpass.com
実際はなんと何もつながりのない人が3人も来てくださった。皆さんこのあたりに住んでいる方だった。地縁というやつだー、と感心しちゃいました。
飲み会まで開催して、ローカルトークに花を咲かせました。もちろん職場やキャリアの話も。中高の地元が近い人同士がいるなど、思わぬ展開が見られたりと、人が集まる醍醐味でした。いろんな人がいるんだなーと。
第2回もやるよ
来るべき12月17日(日)は忘年会をやります。DJができるエンジニアがいるのでBARを貸し切って開催します。ぜひお気軽にご参加くださいー!
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「悪い」の世界がある。その世界で生きていると、例えば高級ホテルのラウンジで紅茶のカップを見つめていても、カップの一部がくすんでいるな、添えてあるスプーンに水垢がわずかに残ってるな、というように思う。ただ存在しているものに対して、悪いことを探す。あら探しが止まらない。
これを他人に向けてしまう。大切な友達が落ち込んでいる。それは「悪い」ことだと判断する。「悪い」世界の住人は彼に向かって、君のなかの〇〇が悪いよ、と指摘する。そして〇〇したほうがいいよ、とアドバイスをする。そしてアドバイスを聞き入れてくれないと、今度は彼を責める。どうしてリソースを割いてアドバイスしてるのに聞かないのだ、改善させようとしているのに、あいつはダメなやつだ、みたいなコミュニケーションになる。人間は「変化」を嫌う。聞き入れる準備ができていないと、アドバイスには反発する。忠言耳に逆らう。あるいは、アドバイスされた側が強欲な人なら、どんどんリソースを奪ってくる人になってしまう可能性がある。もっとアドバイスをしてくれ、アドバイス通りに行動したけど事態が解決しないじゃないか、アドバイスをしたお前が悪い、謝れ、責任を取れ、と。いわゆるテイカーというやつだ。
なので、相手を「悪い」と見てしまうことがまず間違いなのだ。ほっとしても落ち込んでいる彼は究極的には死なない。野生の猛獣に出会わないし感染症が蔓延してる時代じゃない。衣食住をなんとかすることができる。だから介入しなくても根本的には死なない。つまり相手を「悪い」と思って介入するアプローチは間違っている。それは自分のエゴだ。友人は「悪い」状態にいる。だから相手を「変化」させたい、というエゴだ。相手を自分の思い通りに変えたいのだ。
相手は死ぬことはない。そういう状態にあるだけ。こちらから変化させるのはいい結末にたどり着けない。なのに変化させようと執着している。この構図を俯瞰してみると実に滑稽だと思う。出口のない迷路に一生懸命な感じだ。慈しみすら覚える。その状態に執着するのは馬鹿らしい、どうでもいいじゃないか、と自分を赦す。だから自分が「悪い」の世界にいるなーと思ったら、どうでもいいやと思う。何か落ち込んでるな、でも死なないしな、どーでもいいや、と。それくらいシンプルに考える。どうでもいいや、と思うのは赦しだ。脳内リソースが空になるので別のことに使える。
ではどういう風にコミュニケーションを取ればいいのか。人が変わるのは自覚しかない。他人からのアドバイスでは変われない。だから自覚を促すようにする。ひとつは深刻な悩みをどーでもいいやと思っている人間と触れることだ。その悩みってよくあるよねー、だからそんなに考える必要なくないか、みたいなことをカラっと言ってあげる。あるいは、理想像を考えてもらうことだ。結局のところ落ち込んでいるけど、今後どうなりたいの?と。そこを考えることで、落ち込んでいる当人にとっての本心が見えてくる。「あ、こうしたい」という気づきを彼自身が持つことになれば悩みの解消に一歩近づく。
「悪い」のベクトルは当然自分にも向けられる。〇〇しちゃう自分は「悪い」、〇〇できない自分は「悪い」だから自分はセンスがない、などと連鎖していく。自己否定は別の所での悪さを引き起こす。そしてまたそれを「悪い」と思う。終わらない拷問だ。そうすると精神の健康を害してしまう。他人にひどくあたるようになるかもしれない。「悪い」で裁き続けることにいいことはない。
「悪い」と思ってしまうことは反応のひとつの表れだ。なので、あ、反応してるな、と気づくことが「悪い」の世界から抜け出す一歩だ。そして、「悪い」に執着している自分を俯瞰的に見て滑稽だなと思う。そんな自分を赦す。そうすると反応が弱くなる。反応は命を守るための本能なのでなくならない、でも気づいて対処することはできる。どうでもいいや、がキーワードだ。
(この文章がどう読まれるだろうか、、、どうでもいいや)
(了)
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楽しかったことが楽しくなくなった瞬間についてはあまり覚えていない。というか楽しめなくなっていたことに気づいていなかった。幼い頃からサッカーが好きだった。相手をフェイントで騙すことが楽しかった覚えがある。いつから楽しくなくなったのか。小学校の高学年くらいだったかもしれない。
当時、周りに比べて身軽だったからか足が少しだけ速かった。だから攻めの選手として試合に出ていた。敵陣を裂く長いパスに走って追いつき、シュートをする、というのが主な動き方だった。小学生の頃にはやはり上手い選手がすでにいる。ボールコントロール、シュートの強さ、などなど。そして勝つことに貪欲な選手だ。その人は、下手なプレーに厳しい人だった。試合に出ると活躍する。自分でゴールを決めれば上機嫌、誰かがミスをすると叱咤する。
で、僕は彼とプレーをする機会があった。状況は不鮮明だ。何か大切な試合だった気がする。小学生にして芝生での試合だったから、どこかの施設でれっきとした大会だったはずだ。彼は右サイドを切り裂き、地を這う鋭いボールを中に蹴り込んだ。僕はそれに反応したけれど、間に合わずボールはゴールキーパーと僕の間をすり抜けた。「何してんだよ、触るだけじゃないか」と僕は怒られた。それをいまでも覚えている。使えねえな、という表情に僕からは見えた。僕は当時そのような感情を向けられたことに、うまく対処できなくて悲しくなった。そして恐怖するようになった。失敗したら、また突き放されるのではないか、と。
そういう原体験があったからか、その後の学生生活のなかでの部活でも、恐怖の感情はよく湧いた。学生時代には原体験に気づかず、ただ恐怖の感情を抱くだけだった。試合に出てもシュートを外し、チームメイトに申し訳なく思った。サッカー歴が重なれば、1試合の重みが理解できるようになるし、1プレーの重要性がわかる。だから余計に罪悪感を覚えた。試合に出たくないとぼやくこともあった。もっと上手な後輩を出したほうが勝率があがる、と。残ってシュートの練習をしたが、結果は出なかった。しかし試合のメンバーには選ばれた。表面上はありがたく、内面ではうんざりしていた。どうせ僕のせいで負ける、と。
失敗すると叱責される、それに恐怖している、という状態は学生生活で僕の深いところに根付いたように思う。それは別の形でも影響力を持つようになった。挑戦する、責任を取る、という行動に対して消極的になった。なぜなら失敗する可能性があるから。他にも、失敗しそうな状況に放り込まれると、僕を投げ込んだ人を恨むようになった。なぜなら失敗する可能性があるからだ。
そのような状況では、心拍数があがり、「やばいやばいやばいやばい、死ぬ」みたいな焦燥感で頭がいっぱいになる。本当にキツイ。友人、家族、上司、顧客のせいでこうなった、と被害者意識が丸出しになる。心は擦り切れて、自暴自棄になる。僕が原因なんだ、自分という存在が元凶なんだ。誰も助けてくれない、導いてくれない、などと思考は展開していく。この焦燥感を仕事で抱いてしまうと、まったくパフォーマンスが上がらず、成果も出ない。状況次第では周りに迷惑をかける。現実の出来事に対して、失敗するかも、と反応してしまう。
最近、コーチングというか心理学のラジオを聞いて、そのような反応をつかむことがまず大事であり、そのような反応を持つきっかけになった原体験を思い出すことが大切だと紹介されていた。そして、そのような反応・価値観を得るきっかけになった自分を裁くのではなく、赦すことが大切なのだ、と。原体験のときに、そのような感情や状態になったことを、悪い、と決めつけずに、仕方なかった、と自分や他人を赦すことなのだ、と。悪いと思ってると、ずっと自分を裁き続けることになる。そして、いつしか同じような状態にいる他人を攻撃することになる。自分を裁いているルールを、相手や世間に対して適用して攻撃するのだ。
というわけで、このエントリを書いているのだ。自分と相手を赦すために。
まず小学生の経験だが、前提として僕も彼も小学生だ。当時の僕は、彼に「使えないな」と思われていると、勝手に解釈していた。果たしてそうだろうか。思っていたとしても、その一瞬だけだった可能性はある。だってその後もきっとパスをしてくれてたろうし、関係は続いたのだから。小学生に相手を思いやる言葉を使ってくれ、と思うほうが傲慢だ。そのように解釈してしまった僕が傲慢だったのだろう。そのようにしか受け取ることができなかったのだ。小学生に言葉を受け取る際の技術を求めるのは難しい。だから相手も自分も仕方なかった、と30を超えたいまなら思える。
それから学生のときのいじけ(「どうせ自分のせいで、、、」)はとてもみっともない。みっともない自分を受け入れたい。人格の未熟な人間だったのだ。まず、シュートを外しても外してもパスをしてくれたチームメイトへの感謝を忘れている。それどころか、自分をいじけさせる原因だとすら思っている。助けてくれない相手達とも思っていた節がある。とても未熟だ。バカやろうだ。いっしょに残って練習してくれた彼らの恩を顧みれば、どうせ自分は、といじけるのではなく、だったら活躍しようと思いたかった。周りを悪いと決めつけていた。
もっと周囲に助けを求めればよかった。思春期?ゆえに悩みを打ち明けることができなくてただ不機嫌になっていたと思う。どこが原因でシュート力が出ないのか、など。そういう自我を守るために、SOSが出せない未熟さがあった。そういう人間だったのだ。
そしていじけの奥にある悔しさも見過ごせない。悔しかったのだ。もっと活躍して、試合を決定づけるプレーをしたかった。ゴールを決めて、みんなとゴール脇で馬鹿騒ぎをしたかった。相手チームにひと泡吹かせたかったのだ。そういう欲望を直視することをしなかった。失敗するのが怖くて、熱くなることに対して斜に構えていたのだ。そういう面もあった。ダサい。ダサい男なのだ。
社会人のときも、成長のために仕事を回してくれた上司の優しさに気づいていれば、もっとチャレンジして失敗から学ぶことができた可能性がある。失敗しない線ギリギリを超えることを目的にしていた。前向きに仕事に取り組まない姿勢は見え見えだったと思う。感謝もせずに、焦燥感に苛まされて、怒りすら抱いていた。未熟だなあ。
振り返ってみると、未熟な自分に出会う。周りにめちゃくちゃお世話になっていたのに、それに気づかず、恩を返さず、ただただ焦り、落ち込み、イライラしていた。そういう人間なのだ。未熟なところを受け入れよう。
このエントリは懺悔だ。自己理解が深まった気持ちよさを感じる。焦燥感が出てきたら、「反応してるなー、成長の機会だからちょっとやってみるかー」と思えるかもしれない。未熟さを受け入れて生活していく。
(了)
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福田和也氏の本を読んでる。バカでもわかる〇〇シリーズ。文章がべらぼうに上手い。キャラが立ってる登場人物の会話で進む。ムズカシイ話(アフガン侵攻、日本国憲法、国際情勢、思想論などなど)を軽快に解説してくれる。
「すべての歴史は二度繰り返す。はじめは悲劇として、二度目は喜劇として」がマルクスの言葉だと知った。唯物史観の物とは、生産と所有と交換のスタイルことを指し、それらを人間社会の本質と考えた、と解説されている。唯物史観についてはいろんな入門本で読んだけど、いままでで一番わかりやすい。余談だが、最近は交換が気になってる。どのリソースを何に変換してるのか、を働きながら考えることが増えたからかもしれない。
最近読みたい本がだだっと増えてきた。うれしいことだ。なにより文章が読みやすい。いい文章を読むと気分がいい。
(了)
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気づくとベースに焦燥感を抱いているときがある。いまの判断で大丈夫なのだろうか。事態悪化を告げる重要な兆候を見逃してないか。判断するべきことを見つけられていないのではないか。疑問が頭をぐるぐると回ってしまい、この瞬間に向き合いたい課題から集中することができないことがある。
あるいは向き合いたくないから、頭をぐるぐるさせているのかもしれない。逡巡することで責務を果たしていると思い込むことができる。何かあったときに、考えてはいたのですが、などと簡単な言い訳ができるし。
とここまで書いてきて、ふと思った。仕事をしているとは、焦っていることだ、という価値観を持っている。安心してゆっくり仕事をすることは、サボっていることだと思いこんでいる。あるいは土壇場で焦っている方が、ゆっくり考えているより、火事場のクソ力でよい判断ができると思っている。緊急事態になれば感性が研ぎ澄まされて、能力が十全に発揮できる、とかも思い込んでいる。
これには原体験があることを思い出した。子供の頃にスキーを練習していた。まだ慣れてなかった。そのとき小さい坂から人混みに向かって突っ込んだことがある。緊急事態で思考は棚上げされていた。そのときに不思議と自然に体が動いて、誰にもぶつからず停止した。その成功体験から、思考・判断を低く見て、緊急事態のその場の判断を高く見る、という価値観を持った気がする。
練習は意味がない、本番の学力試験、本番のサッカーの試合、本番の障害活動でこそ初めて能力が発揮できる、と。無意識のこの価値観にはずいぶん苦しめられた。なんせ平時の練習を心から信じてないからだ。どこかコミットメントできていなかった。だけど本番になれば完璧だと思い込み、実際の結果に叩きのめされる。当たり前だ。本気で練習していないのだから。
あー、すっきりした。バイアスに気づくことができた。
だから練習に取り組むことが本番で成果を出す、という価値観を持つことを許す。というか、結構事前に準備するタイプだと思い込んでいた。練習や事前準備に価値を見出していないのに、事前準備に結構取り組んでいた。そのねじれみたいなものがあったかもしれない。価値のないものにリソースを注ぎ込む自分に嫌気がさしていたのかもしれない。それだとエネルギーが出ないな。
これで安心して事前準備に前向きに取り組めそうだ。予想外の展開だが、文章を書いてよかった。
(了)
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友人宅で小さいパーティーがあり、5歳児と2歳児と時間を過ごすことがあった。2人の友人がそれぞれ子供を連れてきてくれた。子供同士も初対面ということだ。
子供は可愛かった。純粋無垢で行動的だった。おままごとをして、アイスクリーム屋さんをしていた。子供がおままごとをしているのを近くで見るのは初めてだったので貴重だった。
なんでこうも楽しそうで、それを見ると元気が出るのか。それは彼らが自分で楽しい感情を生み出しているからだと思う。誰かから楽しい感情を抱かされていない。大人は娯楽に囲まれていて、ちょっと指を動かせば刺激にさらされる。それはある程度は楽しい。けれど受動的な楽しみ方だ。一方で子供は能動的に楽しさを生み出してる。おもちゃの車にまたがり廊下を往復することを面白がる。ほんとにけらけら笑っている。一般的な物差しに照らして、それが楽しいのか、など考えない。楽しさの地産地消だ。そういう様子に接すると、大人の自分のなかにある、地産地消機構が共振する。それで元気が出る。
楽しさの地産地消。もう少しビジネス色のない言葉選びがしたい。
(了)
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Youtuber 同士が付き合ったなるニュースをLINEで見た。その記事内では彼らのプリクラが記載されていた。実際以上に肌が白く、瞳が大きく写っていた。それがプリクラなので、当たり前の加工だ。それを見て、気持ち悪いな、と反応したことに気づいた。
彼ら人物それ自体に嫌悪感を抱いたわけではない。ただプリクラの加工に対して嫌悪感を抱いたのだ。どうして実際以上に加工するのか。現実ではあり得ないような姿に、気持ちが悪いな、と思ったのだ。なんだかはしたないとすら思っていることに気づく。
素のままこそが大切なのだ、だから加工するのは必要ない、むしろ下品なのではないか、みたいな価値観を自分が抱いているのだろう。どうしてそんなことを思っているのだろうか。中学時代の頃が原体験だと思う。それくらいの年代になると眉毛を加工しだす生徒が増える。僕も漏れなくその一員だった。少しいじったら友人に「なんでそんなことしてんの?」と嘲笑気味に言われた。それにうまく回答できず、まごついて、とても恥ずかしかった感情を当時抱いた。恥ずかしい自分を隠すために、素のままこそが正義で至高だ、という価値観を抱いたのだと思う。実際、30を超えるまで髪を染めたことはないし、染める友人たちに軽い嫌悪感を持っていた。黒髪こそがいちばんだろう。素のままなんだから、と。
中学時代に身に着けた価値観を持ち続けると、加工、すなわち技術に対する敬意みたいなものが十全に持てない気がする。たしかに素材のままのほうがベターなこともある。例えば、お刺し身とか。(と、思ったが刺し身も切り方の技術とかがあるよな。。。)しかし加工のほうがベターである場合もある(ありまくる)。洋服、PC、絵画、身なり、各種儀式、料理などなど人間は素材を加工しまくっている。文章だって加工されている。言葉を入れ替えたり、単語を差し替えたり、伝えやすさを高める技術がある。
素材か加工か、という二項対立の中で、素材に軍配をあげる価値観であることに気づけた。このままだと加工の価値を十全に受け止めることができない可能性がある。だから、素材も加工も、という価値観にアップデートしたい。建築など加工の極北を楽しめないのは避けたい。楽しみたい。ただどこまで加工の技術に心酔すればいいのだろう、という次の疑問が湧いた。暇なときに考える。
例えば次回、プリクラを見るときには、おー今ここまで加工されるんだー、それを求めてる人がいるんだー、のようにフラットに反応して受け止めたい。
(了)