tawara's blog

雑記。個人の見解です。

Youtuber 同士が付き合ったなるニュースをLINEで見た。その記事内では彼らのプリクラが記載されていた。実際以上に肌が白く、瞳が大きく写っていた。それがプリクラなので、当たり前の加工だ。それを見て、気持ち悪いな、と反応したことに気づいた。

彼ら人物それ自体に嫌悪感を抱いたわけではない。ただプリクラの加工に対して嫌悪感を抱いたのだ。どうして実際以上に加工するのか。現実ではあり得ないような姿に、気持ちが悪いな、と思ったのだ。なんだかはしたないとすら思っていることに気づく。

素のままこそが大切なのだ、だから加工するのは必要ない、むしろ下品なのではないか、みたいな価値観を自分が抱いているのだろう。どうしてそんなことを思っているのだろうか。中学時代の頃が原体験だと思う。それくらいの年代になると眉毛を加工しだす生徒が増える。僕も漏れなくその一員だった。少しいじったら友人に「なんでそんなことしてんの?」と嘲笑気味に言われた。それにうまく回答できず、まごついて、とても恥ずかしかった感情を当時抱いた。恥ずかしい自分を隠すために、素のままこそが正義で至高だ、という価値観を抱いたのだと思う。実際、30を超えるまで髪を染めたことはないし、染める友人たちに軽い嫌悪感を持っていた。黒髪こそがいちばんだろう。素のままなんだから、と。

中学時代に身に着けた価値観を持ち続けると、加工、すなわち技術に対する敬意みたいなものが十全に持てない気がする。たしかに素材のままのほうがベターなこともある。例えば、お刺し身とか。(と、思ったが刺し身も切り方の技術とかがあるよな。。。)しかし加工のほうがベターである場合もある(ありまくる)。洋服、PC、絵画、身なり、各種儀式、料理などなど人間は素材を加工しまくっている。文章だって加工されている。言葉を入れ替えたり、単語を差し替えたり、伝えやすさを高める技術がある。

素材か加工か、という二項対立の中で、素材に軍配をあげる価値観であることに気づけた。このままだと加工の価値を十全に受け止めることができない可能性がある。だから、素材も加工も、という価値観にアップデートしたい。建築など加工の極北を楽しめないのは避けたい。楽しみたい。ただどこまで加工の技術に心酔すればいいのだろう、という次の疑問が湧いた。暇なときに考える。

例えば次回、プリクラを見るときには、おー今ここまで加工されるんだー、それを求めてる人がいるんだー、のようにフラットに反応して受け止めたい。

(了)