tawara's blog

雑記。個人の見解です。

自分のダメなところをこそ活用するといい、とあるセミナーの中で教えてもらった。ダメなところこそが個性であり、仕事の成果に活かせる。そういわれて、ふと自分の新しいダメなところに思い当たった。無意識に既にあったものに意識の手が触れたような感じ。

ここからはダメなところを記述する。クズと評する人もいるはずだ。不快な文章を読みたくない方はここでお別れです。

横着とよく両親に言われた。できるだけ楽にして済まそうとする、という意味でよく言われた。婆ちゃんにも言われた気もしている。自分でやらずに人にやってもらっていたのだ。得意な人にやってもらえばいいじゃないか、その方が早いし成果が出るだろう、と。

つらつらと具体的なことを書く。まず高校の願書を母親に書かせた。父親にすごい怒られた。お前の人生の選択なんだぞ、と。正論だ。でも書類を書くのに必要な知識が足りてなかったので、大人が書いた方がいいだろ、と思っていた。

祖父母の夕食での大テーブルの片付けもあまり積極的ではなかった。全員で片付けたらキッキンが混んで動線が悪くなる、とか考えていた。実際に確かめてないところがよくない。

恋人とデートの計画も積極的じゃない。人混みが好きではない、計画が苦手、という理由もあるが、基本的に提案してもらって、いいねーと言っている。断ることもあるので、いよいよ最低だ。料理もやってもらってる。細かい掃除もやってもらっている。ひどい。文章を書いていてあまりにもひどいので反省する。ごめんなさい。いつもありがとう。

とても汚い話だが、小学生のときにウ◯コを漏らした。サッカーの合宿だった。小6の夏の話だ。土手沿いのサッカーコートで練習中に催したが、仮設トイレまで間に合わずに漏らした。さらにトイレットペーパーがなかった。まわりに生えていた草でお尻を拭いた。上手にできた記憶はない。練習に戻って、何か臭くね、とか言われた。どうやってかわからないが、そのウ◯コで汚れたズボンを母親にビニールごと渡した。処理させたのだ。感謝の言葉を述べた覚えがない。よほどショックだったのだろう。

大学受験の費用も運転免許の費用も親に出してもらっている。一浪したが、予備校は自分で選ばず母親がどこかで仕入れてくれた情報をもとに決めている。参考書もきっと両親に買ってもらっている。なんと横着な人生なのだ。大学院の学費も払ってもらっている。

そして初給料でごはんをご馳走したくらいしか恩返しをしていない。3年間働いて禄に貯金もせずに、小説を書いて暮らしたいだの言って会社を辞めて、生活インフラは実家に頼った。実家を出るときには、3年間家賃として母親に払っていた金を渡され、迷わずすべて貰っている。未熟者のエピソードしかない。横着についての話をしていたらここまで来てしまった。横着というか単純に親のスネをかじるドラ息子の話になっている。

とにかく横着で、できる人にやってもらう。それで基準を達成する、という生き方をしていた節がある。他にもだめなところ(クズなところ)はあるが今回のスコープは横着の話だ。

だが、いまの会社ではそこが仕事に役立っている部分がある。人に頼るのが上手いから、と評された。課題やタスクを達成するためだったら、自分だけで取り組むのではなく、同僚、他部署、役員クラス、(なんなら社外や市場)のリソースを活用することにためらいはない。コミュニケーションや段取りでためらうことはある。ただ頼るのが恥だとか、使えないやつだとか、能力のないやつだ、とたとえ言われても、課題を達成するほうが組織のアウトプットとして重要だし、顧客に届けるためなら自我はそれほど重視しない(倫理を無視するようになったらアイヒマンのようになるかもしれない)。課題から逃げるのではなく、逃げないけど達成のために他のリソースに頼りまくる、という自分都合のイメージをしている。

横着、という性質で周りの人に迷惑をかけてきた。かけまくってきた。かけるだろう。それは感謝して自分にできることをして恩返ししたい。ただ文脈が変われば役に立つこともある。そういう話をしたかった。だから自分のダメなところ、クズなところを再度見つめ直したい。

またこの横着というのは、失敗の恐怖から来ている。自分が取り組んで失敗したら嫌だな、という薄汚れたプライドから来ている。プレイヤーとして伸びないのはこういう原因なのだろうな、とさらなるダメさが見えて来たところで終わり。

(了)