tawara's blog

雑記。個人の見解です。

グループコーチングなるものに参加した。8人くらいで都内ホテルのティーラウンジで夕方から3時間くらいお茶をしながら、気になる悩みを講師の人に質問する、というイベントだ。講師が登壇しているトークイベントで募集されていたのに参加した形になる。仕事の悩みと、どんな人がどんな話をするのだろうか、コーチングって果たして効果があるものなのか、などの疑問とともに参加した。あいにくの雨だったが席から見下ろす広い庭はよく手入れをされていて、とてもきれいだった。

仕事の話を相談した。すると、「そもそも仕事したいと思ってます?」と言われた。できればヒモ生活で働きたくないです。読書したり小説書いたりしてたいです。「怠惰ですね。それが叶ったらどうします。一人でいても楽しいですか」うーん、そうですね。。。調整したりして人の役に立つのは好きなんですよね。職場でもそれが評価されています。「人に頼られたらうれしいですか。タワラさんこれやってくもらえると助かるのです、とか」うれしいですね。「いま望ましい働き方できてるんじゃないですか」みたいな感じで会話をしていく。自分が本当はどう思っているのか、どういう認知バイアスを自分や現実にかけているのかを一緒に明らかにしていく。

会話を続けると、僕は真剣に生きていないみたいだった。「生きることに本気じゃないですね。だから人生がなんとなくつまんないんですよ。そしてそれをどこかから与えられる思っている。つまらないのはあなたですよ」文章だけで読むとキツイ場面をイメージするかもだが、穏やかに言われる。その言葉に否認の反応してしまう場合もあるらしい。いや、でも、〇〇なんです、と言い訳を続けたり。あー、たしかに思い当たる節があるなーと思ったのでそのまま受け止めた。余談だが、そのまま受け止めることは得意なほうだと自覚している。哲学入門だとか難しい小説を読んで理解しないまま保持してアハ体験を得た経験があるからだ。

服にもこだわらないし、食事にもこだわりがないし、どこかに行きたいとも思わないし、これといって達成したい目標を自覚的にもっていない(〇〇だったらいいなーとかその程度はあるけど)。向こうから来るものに何とか対応する、できれば周りが感心するくらいに対応する、が人生の基本的な態度だ。受動的な生き方なのかもしれない。向こうから来るものに何とか対応しきっているという感覚はある。

「そして根源的な欲求は人と深くつながりたい、ですね」これも当てはまる節がある。人とぶつかり合って人間関係を構築できる人を羨ましいと思う。そこまでぶつかり合わなくても、いったん感情を棚上げして目的を果たそう、と考える。これ言ったら相手と摩擦が起きるからやめておこう、のような態度を基本としている。だから友達はいるけど、親友と呼べる人は少ない。

人生を楽しむ考え方として「人生はハードゲームだと決めること。そしてクリアできると決めること。あとは現実の出来事をすべて面白がること」と言われた。特徴的なのは、望ましい目的に到着すること、それ自体をあらかじめ決めてしまうことだ。未来の結末なんてわからない、それが未来だろう、と思うのだけれど、目の前の出来事への関わり方を変えるための考え方だ。とにかくよい結果になることは約束されている、だから目の前のことに最善をつくす、それを疑わない。ハードゲームというのもミソだ。「マリオの1-1をずっとしてたいですか?」答えはNoだ。「山登りを楽しむことが大事です」落ち込むことはないですか?「落ち込みます。落ち込まないわけではない。落ち込んだあとに、どう面白れる行動をするか考えるのです」なるほどです。

他の会話で印象に残ってるのは心を動かすことについてだ。「幸せには心の動き」が大事、みたいな文脈だった。エンタメ、イベントなど他者から刺激を受け取ることで心を動かすことはできる。ただそれでも限界はある、と講師は言う。自分の心を100%動かすには与えることだ。与えることこそが自分の心を100%動かせる。だから与えることをしたほうがよい、と。そもそも人間はそのように設計されている、とも。与えると心がフルで動かされて、そのようなとき人は幸せを感じる、となる。確かにイベントを主催してゲストを呼んだときが最もイベントを楽しんでいたと思う。

なりたい将来像がまだみえない、という質問に対しては、将来像がわかる、と決める、そしてその道中を面白がることが大事、と回答していた。これかもしれない、と思ってやってみる、結果向いてないことがわかるかもしれない、だったら次を試してみる。いつかはわからないが、いずれ将来像がわかる。だから行動するしかない、と。同時に、自分がどうありたいかを考える必要があるとも言っていた。他者から啓示のごとく与えられることなんてありえない、だから自分で考えて決めるのだ、と。まったくもってその通りだ。

人間を変えるには次の3つのどれかを変えるしかない、と講師は言う。曰く、人間関係、仕事、環境。自己啓発本を読んでも、この3つのどれも変わらないから人間が変わらない。で、環境を変えるなら、例えば何かのコミュニティに参加することが挙げられて、特に講師のコミュニティがおすすめで、みたいな流れに軽くなった。いくらでいますぐ入れなんてことはなかった。

三者に自分の認知バイアスを指摘されることは、「うっ」となることもあるかもしれないが、とても有意義に思えた。しぐさや表情、言葉の選び方・順序・話し方、理由・言い訳などからどんどん深掘って指摘してくれる。「別に認知バイアスを持っていることは悪いことではない、ただその認知バイアスのおかげでいまがあるわけ。いまの結果でいいの?、ということは考えたほうがいいかもね」と講師は何度も言っていた。いま抱えている課題を解決したいなら、第三者の手が必要だと思った。認知バイアス認知バイアスであるがゆえに一人で気づくのは難しい。一人ならすぐ逃げれる。だから第三者に対面で指摘され続ける、という経験はお金を出してでもしてもらった方がいい、と思った。とてもよい経験だった。

何を与えることからはじめたらいいか。

(了)